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続いたら奇跡

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説明しずらい人生

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中学生の頃までは、自分のことを紹介するときに特に困ったことはなかった。
祖父母の代から地元で生きて「○○(苗字)です」と一言言えば「あぁ、あそこの家の!」とすぐ通じるし、地元じゃない方に説明するのも「石垣島生まれ、石垣島育ちです」で通じた。

変化が訪れたのは、高校生活に入ってからだ。高校からは沖縄本島に進学した。
進学先は名前に高校とついてないし、普通科ではなく生物科。
高校から大学まで一貫の学校で、できたばかりで認知度が低く大学入試に備えるようなカリキュラムも組まれていないので「何を勉強しているの?」と言われても「生物のことです」としか言いようがない。
またややこしいのが、高校生相当から生物を学ぶカリキュラムは全国的に見ても珍しく「将来何になるの?」と聞かれても先生も生徒もわからないような状態だった。
そもそも普通の高校~大学じゃない時点でまず説明が難しい①。

19歳のとき、病に倒れた。うつ状態だといわれ、一年学校を休学した。
できたばかりの学校で人数も少なく、16歳からの学友であるためほぼ全員顔なじみのような状況。また、休学や留年する人はとても少なく「あいつメンタル病んでるってよ」と多分言われているであろう状況が容易に頭に浮かび、すごく嫌だった。(それは被害妄想だと後々知ることになる。実際には多くの友人がとても心配してくれていたらしい。)
当時一人暮らしをしていたが生活もままならないので一時帰国。(帰島)
地元の知り合いからは「卒業したの?」「大学は?」「いつ戻るの?春休み長くない?」などハテナの嵐。
「メンタル病んで地元に帰ってきましたテヘペロ」なんて可愛く言う根性は当時なかった。日陰に潜んで暮らしていた。卒業が一年遅れた。学校を辞める選択肢もあったが、少なくとも短大相当までは学ばないと高卒とすら名乗れず、履歴書上は中卒となる。当時はそれが嫌で不安で仕方がなかったので半ば嫌々復学した。結果的に15歳で入学し、23歳で卒業した。一浪や留年であればまだ説明しやすいと思うが、精神的な病気で一年卒業が遅れたということについて気にせず言えるようになったのはごく最近のことである。説明しずらい人生その②。

22歳の卒業後、私は院に進みたかったがその年の希望する院に落ち進学を断念、東京のとある研究室に研究員として籍を置かせてもらった。その次の年の院試に備えるべく勉強したがまた落ちた。
もうこれはだめだと思い就職先を探した。もう24歳になっていた。大学は卒業したが院試に失敗して次の行くあてもないので就職先を探した。
履歴書に3月卒、11月入社と書くとブランクの間何してたの?と聞かれ説明が面倒くさい。「入試落ちました」とさらっと言える根性は24歳当時まだなかった。できない自分をオープンにするのが嫌だった。説明しずらい人生その③

新卒ではなく、「既卒」でよくわからん私を拾ってくれた会社があった。その会社がなければ私は今の人生を歩めていない。とても感謝している。
が、悲しいことに人生二度目のうつ病発症。休職した。就職してわずか2年目くらいだったと思う。すべてを投げ出してしまい、何もできなくなった。
会社の人に迷惑をかけてしまった、というとても大きな罪悪感に毎日うなされた。こんなどこの馬の骨かもわからないような奴を拾ってくれた会社になんてことをしてしまったのだと、毎日ベッドで泣きながら謝っていた。
それでも生活は続くもので、学校の同窓会に誘われたりして「今何してるの?」と言われる度に「メンタル病んで会社休んでます」と言うのは大変気まずかった。説明しずらい人生その④

休職は1年ほど期間を頂いた。今考えても贅沢なくらい時間をもらった。
不安だったが無事に復職でき、順調に暮らしていたが

三回目のうつ病発症。

また休職した。説明しずらい人生その⑤。

結局、そのまま退職した。会社をやめてもうすぐ1年が経とうとしている。病気はまだ回復とは言えず、ゆっくりマイペースに療養している。

このように、私は一般的なレールから相当外れた人生を送っている。
普通の高校じゃなかったり、病気を何度もしたり、子供もいなければ決して高給取りでもないのに専業主婦。私の周りで子供がいないのに働いていない友人は一人もいない。

しかし最近、それって面白い人生だなと思うようになってきた。
説明しずらいと思っていたのは単に自分をひけらかす勇気がなかっただけの話だ。(説明しずらい人生①を除く。これは普通に説明することが面倒くさい。)
病気であることを少し負い目に感じている自分がいた。ヒソヒソ言われることが怖いと感じていた。
しかし、病気を経験したからこそ見える視点があったりする。
今私は完全に開き直っている。病気であることを決して負い目に感じたりはしないし、いい人生経験だと思ってこれを活かす生き方を模索中である。WhyよりもHow?だって修造日めくりカレンダーにも書いてある。(修造のニッコリ笑顔つき。)

具体的には、人に優しくなった。人の気持ちを恐らく普通の人より敏感にキャッチできる。悩んでいる人に耳を傾け、何時間でも話を聞く。否定しない。これは、自分が弱いとされる立場になったからだこそできることだと思う。多分。逆を言えば、病気がなければ私は平気で人をけなす自分になっていたのであろう。怖い、そんな人を傷つけたり見下す人生は嫌だ。病気になってよかった、とすら思うくらいだ。

過去は変えられない。もう人に迷惑をかけまくった過去を変えることはできない。会社自体もやめてしまったので、業務的にも貢献することはもう不可能だ。
じゃあ次、どうやって働こうか。自分の得意なことを活かしてなるべく人に迷惑をかけない方法で働くにはどうすればいいか、考えている。
その際、病気であること、もしくはあったことは堂々としていたい。それを否定してしまっては、自分の人生すら否定してしまうほど、長い間病気と共存して生きている。うまく活かしつつ、社会に貢献できればいいな。

この時点で2500字ほど使って自分の半生、反省、考えをまとめている。
まとめられるほど文に起こせるようになったのも、回復してきている一つの目安である。WhyよりもHow。自分に疑問を持ったらこのブログを読み返したい。起きてしまったことは仕方がない。これをどうやって活かすか。人生の課題である。